MSXシステムは、それまで性能や技術がまちまちだったPCの分野において技術と資産の共通化を目指し、1983年に 株式会社アスキー と 米国マイクロソフト社 が提唱した、8bit PCの世界統一規格です。
MSXシステムは“ホームコンピューティング”を念頭に開発されました。誰でも手軽に利用できるよう画期的な数々の技術を導入した他、低コストを前提にした仕様設計により、PCの低価格化を実現しました。
- 仕様を公開・統一して開発を容易にする“オープンアーキテクチャ”
- ソフトウェア・ハードウェアをROMカートリッジの抜き差しで自由に追加できる“プラグ&プレイ”
MSXは1985年にMSX2、1998年にMSX2+、1990年にMSX turbo Rへと規格の性能向上を行いましたが、ホビーの分野では任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン)の登場でユーザーを奪われ、実用の分野でもNECのPCシリーズの牙城を崩すことはできませんでした。そして1991年にパナソニックが製造した“FS-A1GT”を最後に、メーカー各社はMSX事業から撤退しました。
MSXパソコンは最終的に、全世界で500万台弱を普及しました。
かつて我々ユーザー(消費者)は、その文化をメーカーの方針にただ指を加えて見ているだけでした。アスキーや各電器メーカーが「MSXをやめる」と言えば、MSXの文化は終わる以外に残された道はありませんでした。事実、つい最近まではそうでした。
しかし今はインターネットという便利なものがあります。ユーザーが仲間を集えば行動が起こせます。その最も分かりやすい例が、インターネットを通じてMSXの活動を行ってきたMSX好きがアスキーを動かし、秋葉原で開催するまでに至ったユーザー主導の展示会イベント「MSX電遊ランド」です。
日本MSXユーザーグループの究極的な目標は、MSXユーザー自身の手でMSXの文化を守り通せる環境を作ることです。
- 手軽に作って遊ぶ行為の意義を伝えてゆくこと
- MSXに関する資産(ソフトウェアや資料など)を残すこと
- MSX実機を自作できるようにすること
メーカー主導の文化からユーザー主導の文化に切りかえることで、MSXでやろうという人が世界中に一人でも現れれば、MSXは後世も“守り通す”ことができます。MSXユーザー自身の手でMSXの文化を創ってゆく、新しい時代がついに来たのです。
重要なことですが、基本的にアスキーは何もしてくれない、と思うべきです。
MSXを提唱したアスキーは、MSXの事業から一度撤退しています。MSXの事業は儲からないから、アスキーは撤退したのです。実際、このプロジェクトが立ち上がった現在でもアスキー社内ではMSXの存在の是非で議論が起きています。
よって「MSXをこうしたい」「MSXで何かやりたい」と言った“提案(=MSXで利益につながる提案)”を、我々MSXユーザーが積極的に考えなければ、アスキーやその他の企業のMSX関連事業は長くは続かない、と思うべきです。なぜなら我々ユーザーの活動は仮にボランティアとしても、企業の活動は(基本的に)ボランティアではないのですから。
とは言え、「アスキーはやる気がない」という意味ではありません。やる気がなければ、そもそも電遊ランドなどに出資などしませんし、公式MSXエミュレータの開発も有り得なかったでしょう。
というわけで、我々MSXユーザーはMSXを設計したアスキーに感謝すべきですし、こうしてアスキーが再びMSXに目を向け何かやろうと考え始めたことを、MSXユーザーは最後のチャンスと思うべきなのかもしれません。今度は(赤字経営が続く)アスキーをMSXの事業で立て直そう、くらいの意気込みで“リバイバルプロジェクト”を進めていこうではありませんか。
MSXユーザーとしては、アスキーが恒久的にMSXのサポートを続けることを願いつつ、アスキーが再びMSXの事業から撤退してしまうまでに、MSXの文化を守り通せる環境を今から準備する必要があります。しかしそのためには、一人でも多くのボランティアによる手助けも必要です。もしこのリバイバルプロジェクトに賛同していただけるのでしたら、あなたのお力を我々に貸してくださいますよう、よろしくお願いいたします。