■小島氏、MSX2のスプライト制限の例として「NEMESIS」を紹介
小島氏は1986年に当時のコナミに入社。MSX2を扱う部署に配属され、会社から最初のミッションはMSX2で「コンバットゲームを作れ」というものだったという。当時のMSX2は、スプライト処理によるゲーム画面を構成しており、画面上に表示できるスプライトは8つまでといった制約があったことを説明。
この機能例として同社から発売された「NEMESIS」を紹介。MSX2では、9つ目のスプライトを表示した場合、9つ目、または1つ目のスプライトが画面上から消えてしまうという仕様がある。このため、「NEMESIS」では9つ目のスプライトが発生した場合、表示順番をループさせ、無理やり表示させているということを例としてあげていた。
このスプライト処理についての問題点を説明した後、これをコンバットゲームに置き換え、同様の解説を行ない、ハードウェア上の仕様を考慮に入れた結果、「戦えないコンバットゲーム」、「逃げ回るコンバットゲーム」、「逃げるけれども隠れる」といったテーマを作成。
当時はヒロイックなゲームばかりであったため、隠れてじっとするというネガティブになりそうな部分を単独で潜入していくというヒロイックゲームの流れで作成したところ「ステルスゲーム」というジャンルが誕生したという。
引用元:GAME Wacth『KONAMI、小島秀夫氏 基調講演
「Solid Game Design:Making the ‘Impossible’ Possible」
不可能を可能にするゲームデザイン』より
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